短編小説1 お父さんが死にました
1
お父さんが死にました。会社のビルの五階から窓をぶち破って飛び降りたとのことです。夜中の三時過ぎのことで、お父さんはその時間まで会社で仕事をしていました。一緒に残業をしていた人たちがいて、その人たちにはちょっとトイレ行ってくると言ってオフィスを出たそうです。お父さんのパソコンの画面には作りかけの書類が残っていて、机の上には空の栄養ドリンクと缶コーヒーの空き缶が何本も並んでいたとのことです。きっとお父さんはギリギリまで仕事をしていたんだと思います。わたしはそんなお父さんをとても誇りに思います。
お父さんは会社からすぐに殉職と認定されて、常務取締役に昇進しました。お父さんは生前課長代理だったので五階級特進というすごい昇進です。わたしたち家族は泣いて喜び、葬儀の時に会社の社長さんと専務さんに何度も何度もお礼を伝えました。遺影の中のお父さんは会社が用意してくれた立派なお花の中ですごく喜んでいるように見えました。
葬儀には読買新聞の記者の人が来ていて、わたしとお母さんは取材をしてもらいました。
記者 お父さんの殉職を知った時、どう思いましたか?
お母さん 会社のために最後の最後まで頑張ってくれたんだな、と非常にうれしく思いました。
記者 娘さんはいかがですか?
わたし はい。お母さんと同じで、会社のために死ぬまで頑張ったお父さんはとても偉いなと思いました。
記者 そうですよね。お父さんの印象的な思い出などはありますか?
お母さん はい。いつも帰ってくるのは週末だけだったんですが、土曜の晩に終電で帰ってきて、夜中の一時過ぎに家族三人で夕飯を食べるのが恒例でした。そこで会社や仕事の話をいつも私や娘にしてくれていたことをよく覚えています。
記者 家に帰ってきてからも会社や仕事のことを考えていたんですね。とても素晴らしいことだと思います。素敵なお父さんですね。娘さんはいかがですか? お父さんとの思い出とか。
わたし はい。わたしは日曜日の夜に勉強を教えてもらったことを覚えています。わたしが分からないところをききに行くと丁寧に教えてくれて、一生懸命勉強して将来会社のために役に立つ人間になるようにと言われました。
そんなやり取りが十五分くらいあって、二日後にそれが記事になりました。テレビ欄の裏側に載っている写真付きの大きな記事で、「栄誉の殉職! お父さんは最後まで頑張った!!」という大見出しになっていました。読買新聞の記者さんはその新聞を送ってくれました。ですが、お母さんはその日の朝、近所のコンビニを回って既にたくさんの読買新聞を買ってきていました。
お母さんはその記事を切り抜いて、お父さんの仏壇に飾りました。
学校でもその記事は道徳の時間に授業の題材として取り上げられ、コピーが全校生徒に配られました。担任の東堂先生はその授業中こう言っていました。
「会社のために死ぬということは、なかなかできないことだ。みんなもAのお父さんを見習って将来どんな仕事でも会社のために頑張って我慢して耐えて、耐えて頑張り抜くんだぞ。いいな。分かったか」
記事の中に書いてあったのですが、お父さんは上司の課長や部長、専務や取締役から毎日非常に強く𠮟咤激励を受けていたそうです。みんなお父さんがもっと会社のためになれるようにと心を一つにしていたということです。なんて素晴らしい会社なんだろうとわたしは感激してしまいました。わたしも将来そんな会社に入りたいと思いました。
2
お父さんが亡くなってからしばらくすると、お母さんはわたしを産む前に働いていた会社で再び働き始めました。お父さんの会社は八十三万円というとても大きな額の退職金を出してくれたそうなのですが、それだけでは足りないので会社で働くということです。
お母さんもお父さんを見習って会社のために一生懸命働く、と言って元気いっぱいで朝六時くらいに家を出ていきました。
わたしもその後昼間学校へ行って帰ってくるとすぐに塾に行って、夜の十時前くらいに家に帰ってきたのですが、まだお母さんは帰ってきていませんでした。洗い物をしてご飯を炊いて宿題をしながら待っていると、お母さんは日付が変わった一時前くらいに帰ってきました。
子供にご飯を食べさせなきゃいけないって無理を言って、他の人には悪いんだけど終電で上がらせてもらってきたのよ、とお母さんは言っていました。しかも帰りにスーパーで夕飯の買い物までしてきてくれていました。最近のスーパーはどこも二十四時間営業になっているのでとても便利です。昔は夜の九時とか十時に閉まっていてすごく不便だったそうなのですが、いまは社会が発達してどこも二十四時間営業が当たり前になっています。
その日は一時半に夕ご飯を食べ、二時にお風呂に入って、三時前に寝ました。
朝起きるとお母さんはもう会社に出ていていませんでした。シリアルに牛乳をかけたものとヨーグルトを食べて、私は七時半に学校へ行くため家を出ました。あまり寝ていないのでとても眠かったのですが、お母さんはもっと頑張っているのにそんなことは言っていられません。一生懸命勉強して、成績を上げて、良い大学を出て会社の役に立つ人間になる。わたしは頑張らなければなりません。
うちの学校のクラスにYという変な男子生徒がいました。
Yのお父さんは仕事をしていないという噂で、お母さんが近所のスーパーでパートをしているということです。なんでYのお父さんが仕事をしていないのかははっきりしないのですが、とにかく病気とかそういうのではないらしいです。というのも、コンビニで昼間に酒やタバコを買っているのを見ただとか、パチンコ屋が開くのを朝から並んで待っていただとか、そういう目撃情報が寄せられているからです。
大の大人の男の人が仕事をしていないというのは、世の中の常識から外れていますし普通じゃありません。そんな人の子供なのだから、変なのも無理はありません。
Yはある時、わたしにこう言いました。
「勉強なんかいくらしても何の役にも立たないよ」
勉強をしていない人の言い訳に過ぎないことは分かっていましたが、正直ムッとしました。
「勉強をしないといい会社に入れないよ」
わたしがそう言い返すと、Yはさらにこう言い返してきました。
「いい会社ってなんだよ」
そんなのは考えてみるまでもないことです。呆れて私は空いた口がふさがりませんでした。
「おい、A。世界はもっと複雑だぞ」
「意味わかんないこと言わないでよ」
複雑とは──。変なことを言って煙に巻こうとしているだけとは分かっていましたが少し考えてしまいました。
家に帰ると、すぐに塾に行って、帰ってきて洗い物をしてお風呂に入って宿題をしました。お母さんは二時を過ぎても帰ってこなかったので、先に寝ました。
布団の中に入ると、昼間学校でYに言われたことが蘇ってきました。
おい、A。世界はもっと複雑だぞ。
複雑とは何のことでしょう。まったく意味が分かりません。この世界のどこが複雑だというのでしょうか。
考えれば考えるほど腹が立ってきて、わたしは眠れなくなりました。Yというのは普通じゃない男なので、言うことも普通ではなく、そこにきっと意味なんてあるわけはありません。
そこでわたしはYのことを考えないようにしました。そんな人は存在していなくて、わたしの想像が勝手に作り出した架空の人物である、と。すると、スッと頭も身体も楽になってその勢いでわたしは眠ることができました。
3
それからおよそ十五年の年月が経ち、わたしは東証一部上場の大手商社に勤め始めました。
その日もわたしは家に仕事を持ち帰って夜遅くまで仕事をしていたのですが、お腹が空いてしまい台所に行っていちごヨーグルトを食べました。そして、ふと明日の天気を見ようとテレビを点けました。
NHKにチャンネルを合わせると、オールバックの髪に関根勤のようなこってりとした顔の男が繰り返し画面に現れ、ブルーのネクタイをしたニュースキャスターがロシアがウクライナに軍事侵攻したと緊迫した声で伝えていました。
オールバックの男はロシアの大統領でスタールンというそうです。このあいだまで禿げ頭の違う人が大統領だったはずですが、昨年末に政変が起こってこの人になったそうです。
ウクライナの市街地の定点カメラが映し出され、空襲警報が鳴り響いていました。そこに空から青い光が飛んできて近くのデパートのような建物に当たりました。その瞬間画面が白い光でいっぱいになり、NHKのスタジオに切り替わりました。
「たったいまロシア軍のものとみられるミサイルがキエフ中心部に着弾し、多数の死傷者が出た模様です。繰り返しお伝えします。ロシア軍によるミサイル攻撃で、首都キエフ中心部に大規模な被害が出ている模様です」
そこからわたしは憑かれたようにテレビにくぎ付けになり、ロシアによるウクライナ侵攻のニュースを見続けました。
なんという暴虐! なんという悪逆非道な行為!
このスタールンという男は狂っています。東部のロシア系住民の保護という大義名分を掲げているそうですが、そんなものは嘘っぱちに決まっています。
テレビを消した後も、怒りで仕事が手につきませんでした。きっと東京の中央区か港区か千代田区あたりにロシア大使館はあるはずですから、行ってこの悪辣きわまりない行為を糾弾し、出てきた大使館職員に卵を投げつけてやろうと思いました。
こんなとんでもない行為をするスタールンという男を一刻も速くこの世から抹殺し、ロシアという国も地球上から消滅させなければなりません。そうしないと正義が守れないからです。
お母さんが仕事から帰ってくると、ご飯を食べながらロシアのウクライナ侵攻の話をしました。
NHKによると、アメリカは第三次世界大戦に発展するからと、参戦をためらっているそうです。お互い核保有国同士なので、それを使うか使わないかという話になるということです。それは裏を返せばロシアがウクライナに対して核を使った瞬間、アメリカも参戦してロシアに核を落とすということになるかと思います。そこが両国の譲れないラインとのことでした。
「それはね、銃を持っている人同士が殴り合いの喧嘩をしているようなものなの。その持っている銃を使うのはきっと自分が負けそうになった時でしょう。その時はこっちも銃を出して撃つからなって言ってるのよ」
お母さんは牛乳を飲みながら興奮気味にそう言いました。
「そんなことをしたら二人とも死んじゃうんじゃない?」と、わたしは疑問を口にします。
「先に心臓か頭を撃ち抜いちゃえばいいのよ。相手が銃を使いそうになったら」
なるほど、とわたしは大きく頷きました。ウクライナ侵攻という史上稀にみる大悪事を働いているのですから、その罰としていまロシアに核爆弾をどれだけ落としてもまったく問題はないはずです。むしろロシア全土に核弾頭を撃ち込みまくって一気に壊滅させてやればいいだけの話です。どうしてアメリカが今すぐそうしないのかがわたしには分かりませんでした。
「ようするにチキンレースよね。どっちが先に使うかっていう。先に手出した方は、相手が手を出してくる寸前だったからって言えばいいのよ」
話が違ってきている気もしましたが、とにかく悪人どもを壊滅させられればそれでいいのですから、核でも何でも先行して使うべきです。
イラク戦争の時もイラクが大量破壊兵器を持っているからと戦争をして後にそれがなかったことが判明しましたが、フセイン大統領は悪だったのでアメリカは結局良いことをしたのです。
その日は朝まで夜通しお母さんとロシアとスタールン糾弾合戦をして、シャワーを浴びて眠気を吹き飛ばしてから仕事に行きました。
ユンクルを飲んで自分の弱い心と戦いながら一日を懸命に仕事に励み、夜になると地下鉄の日比谷線に乗って神谷町駅で降り、近くのセブンエレブンで卵のパックを買ってロシア大使館に向かいました。
近づくにつれて通りの人の数は増えていき、あと数十メートルというところでついに前に進めなくなりました。ロシア大使館はわたしと思いを同じくする大量の人たちが取り巻いていて、その数は何千、何万人という規模に及んでいました。
ロシアなんてぶっ潰せー!
スタールンあんさぁーつ!
ウクライナ侵攻はんたーい!!
皆口々に自分の強い思いを叫んでいます。
石や火のようなものを投げ込んでいる人もいて、わたしも持っていた卵を一個ずつ力いっぱい大使館に向かって投げ、ロシアに対する怒りをそこに込めました。届かずに途中で人々の頭の上に落ちてちょっとした騒動になっていましたが、そんなことはロシアの悪事に比べれば些細なことです。
「スタールン死ねーっ!!」
卵をぜんぶ投げ切ると、わたしもそう叫びました。
「ロシアぁー、地獄に落ちろー!」
いまこうしている今も何にも悪いことをしていないウクライナの人たちは殺されていっているのです。ロシアの利己心に満ちた残忍な軍事行動によって。
「ぶちころせぇー! スタールンをぶちころせぇぇぇーー!」
わたしもわたしの仲間も興奮のさなかにあり、ほとばしる幾多の思いが寒空の中に煮えたぎっていました。
その時です。
ワーッというどよめきと共に巨大な四トントラックがクラクションを鳴らしながら突っ込んできて、人々の群れはモーゼの海のようにさーっと道の両端へ割れました。
トラックの荷台の側面には大型ビジョンがついていて、そこにハロウィーンのような仮面をかぶった何者かが映っていました。
群衆のど真ん中にトラックは急ブレーキをかけて停止し、まずキーンというハウリング音が周囲一帯に響き渡りました。
われわれはアベノマスである。
われわれは真実を伝えにきた。
諸君らは騙されている。
ロシアはウクライナに侵攻などしていない。
これはアメリカとNATOがしかけた戦争である。
ウクライナは彼らの傀儡国家であって、ゼロンスキーなる人物はただの役者にすぎない。
諸君らがメディアやSNSを通して見させられているものは、巧妙に作られた映画である。
そこに真実など──
誰かがトラックに石を投げつけ、画面に亀裂が入りました。すると、我先にと周りにいた人々もペットボトルや本や新聞や雑誌やスマホなどを投げ始め、そのいくつかがヒットして画面はぐちゃぐちゃになり、音も途切れてキーキーと鳴りはじめました。
人々の怒りはもはや収まりませんでした。トラックを取り囲むように一気に押し寄せ蹴ったり押したり叩いたりしました。さらに長身の若者が運転席によじ上り、窓ガラスを石のようなものでたたき割りました。中にいた男は慌てて逃げようとしましたがドアを内側から手を突っ込んで開けられ、腕を摑まれてそのまま車外へと引きずり出されました。
たちまち人の輪ができ、引きずり出された男を大勢でリンチし始めます。
「ころせぇぇぇ!」
「ぶっころしちまえぇぇ!」
そこかしこからそんな声が飛び、もう歯止めがきかなくなっていました。
こんなやりかたで嘘を喧伝するのはたしかに悪いことではありましたが、一人の人間に多くの人たちが寄ってたかってリンチを加えるのはさすがに見ていられません。
「待って、ちょっと待って!!」
そう叫びながら人の波を掻き分け、捨てられたゴム人形のように仰向けに横たわるトラックの男に近づきました。
その顔を見た瞬間、わたしはアッと叫んでいました。
Yだったのです。中学の時同級生だったY。成長して背も高くなり顔つきも精悍になっていましたが、まぎれもなくそれはYでした。
「……Y」
そうわたしが呟いた瞬間、誰かがこう叫びました。
「こいつも仲間だぞ!」
すると、人が飛びかかってきて押し倒され、わたしの顎や脇腹やみぞおちに容赦なく殴る蹴るの暴行が加えられました。そして誰かが後頭部の髪を根元からつかみ、頭が固い道路にうちつけられ──。
わたしが覚えているのは、そこまでです。天に召されてしまいました。
天からはすべてのものが見えます。
誰がどこで何をしているのかが、よく見えるのです。
[了]