中編文画1-1 言葉は噓を吐き、行動は真実を語る
1
ああ、またやってしまった。
ヴァギナから伝う白い粘液を右手の指先で伸ばしながら、わたしはひどく後悔していた。
そもそもどこから間違ってしまったのだろう。よく覚えていない。何となく声をかけられて、面白そう人だなと思って一緒に飲んで帰ってきて、やって寝て起きたらその人はいなくなっていた。しかも昨日は危険日だったのに中出しされてしまった。連絡先も交換していないからどこの誰だかも分からない。
わたしには結婚を約束した彼がいる。わたしより十個上の三十三歳で既婚者、三歳になる息子さんと奥さんがいて、離婚に向けて話し合いをしているところだ。大学卒業と同時に結婚する予定だから就職活動とかはしていない。結婚したら家庭に入って専業主婦になるか、どこかパートにでも出るつもりだ。
冷蔵庫に入っていたミネラルウォーターを飲み、わたしは昨日寝た男の顔を思い出そうとする。でもそれは曖昧なイメージが浮かぶだけで像を結ばず、声だけが記憶の端の方に残っている。
「それってさあ、ヤバくない?」
おそらく口癖なのだろうがこの言葉を何度かわたしは耳にしていて、その軽薄な口調が男の頭の悪さを物語っていた。
外に出すと言っていたはずなのだが、結局男はペニスを最後まで抜かず、残らず中に出し切った。ああ、やられたとわたしは思ったのだが、頭が快感で麻痺していてうまく働かなかった。
「ああ、気持ちよかった」
男は勢いよくペニスを引き抜き、感想を口にした。
「ちょっと中に出さないって言ったじゃん」
「あぁ、ミスった。ごめん」
絶対に嘘だった。抜く気なんてさらさらなかったのだ。中で全部出し切ってやろうという強い意志が、男が股間を押しつけてくるその力に込められていた。
「まじ最悪なんだけど、これ妊娠してたらどうするよ?」
「よーく洗っときゃ大丈夫。精子なんて流れるって」
そんな会話をしてるうちに眠くなってきて、いつの間にか寝落ちしていた。で、起きたら一人。男の痕跡は消されていて、わたしのびらびらの中の白い精液だけが唯一の残留物ってわけ。
──おはよう。来月ほほちゃんの誕生日だと思うんだけど、なんかほしいものある?
スマホが鳴って、見ると藤島正直からそんなラインが届いていた。正直と書いて「まさなお」と読む。ほほというのはわたしの名前で、「帆々」と書く。帆船のように風に乗ってまっすぐに突き進んでいくという意味を込めたらしい。お母さんが言っていた。まっすぐかどうかは知らないが、とにかく突き進んでいってはいる。
──ちょっと寝起きで思いつかない。考えてまたラインするね。
左手でティッシュを取ってびらびらを拭いながら、右手でそう打ち込んで送った。
すぐに既読がつき、よく見るクマの陽気なスタンプが送られてくる。
ティッシュの繊維がびらびらにくっつき、白いこよりのようなものがいくつかできる。ああ、面倒くさいな。時間が経って精液が乾いてねちゃねちゃになってこびりついてて、取れなくなってる。
来週の土曜日に高崎に住んでいる向こうのご両親に挨拶をすることになっている。こっちの両親にはまだ言えていない。既婚者だの子供がいるだのと言えば、絶対反対するに決まっている。お母さんは泣くだろうし、お父さんは顔を真っ赤にして酒を飲んで怒鳴る。だから言いたくないし、言えない。
あぁ、もう死にたい。生きていてもいいことなんて何もない。
トイレに行って最終的にビデで洗い流し、うんこをする。三日ぶりくらいだ。こんなにすっきり出たのは。バナナ二本分くらいが、ずるずると出た。昨日バックでかなり激しく長く突かれたからだろう。そこで尻だか腸の中の固まっていたうんこがほぐれて出やすくなったのだ。そう考えると悪くない。便秘の時はバックで突きまくってもらえばいいのだ。そうすれば便秘も解消するし一石二鳥だが、あまりにも効き過ぎると、イったときに出てしまう気がする。そんな場合、男はどうなのだろうか。イきながらうんこを漏らさせたら、とにかく大変なことになってしまうことだけは確実だ。おしっこくらいだったらいいだろうが、うんこだとどうなるのだろうか。どこまでが興奮してどこからドン引きするのか、そのギリギリラインがどこにあるのかがちょっとよく分からない。
そういえば、よく正直とするのが、おむつプレイだ。これはセックスの時に赤ちゃんごっこをするわけではなくて、大人の介護用のおむつを買ってきてそれをわたしが履いて、コンビニでレジのお会計中に漏らすというものだ。漏らすタイミングは正直から指示が来る。ちょっと離れた場所から見守っていて、ラインに「うんこ」とか「おしっこやや多め」とか指示が来て、スイカでとかペイペイでとか店員さんに言っている最中に指示通り漏らすのだ。でもわたしは便秘気味なので、おしっこの方は大丈夫なのだが、うんこが指示通り出せずにいつもイキんで終わりか、出たか出てないかくらいしか出せない。最悪の場合、長めの屁が出て終わりというパターンもある。それを見ながら正直はニヤニヤして股間をモッコリさせている。わたしも背徳感と公衆の面前で漏らしている恥ずかしさで頭がトロトロになって、乳首が固くなり、子宮がキューッとなる。皆の視線が密かに現在進行形でお漏らし中のわたしに突き刺さり、子供たちの甲高い声が店の中に響いている。
まあ、そんなことを二人でよくしている。いい年こいた大人が、恥ずかしげもなく。
うんこがすっきり出ると死にたいという気持ちもけっこうすっきり晴れていて、あぁ、ただの便秘だったのだなと思い知らされる。生きていてもいいんだなと感じる。
2
正直からラインが来て、高崎行きが延期になったという。理由はお父さんの血圧が上がったから。それが嘘だということはわたしでなくても誰にでも分かっていたことだけれど、とにかくOKと返事をしておいた。
離婚もしてないのに、挨拶なんてできるわけがねえだろ。
そんなことはもう分かって分かって分かり切っていたのだけれど、正直がそんなことを言い出すからわたしはそれに付き合ってあげなければいけなかった。で、どうするのかと思えば案の定延期。いったい何がしたいのかさっぱり分からないのだけれど、正直なりの何だかよく知らない理由があったのだと思う。わたしが喜ぶとか、離婚が実際は成立していないのだけれど既成事実化するとか考えたのではないだろうか。
「もうすぐ離婚するから結婚しよう」
「じゃあ、わたしももうすぐ卒業するからそのタイミングで」
ラインでそんなやりとりをしてから数ヶ月が経つ。
お互い嘘ばかりだ。大学なんて一生懸命勉強して二浪して入ったはいいけど、バカらしくなって途中から全然行かなくなり、単位も取れていないから卒業なんてできるわけがない。一緒の年に入った子たちはこの春で卒業だけど、わたしは五年生になることが決まっているばかりか六年生で卒業できるかもあやしい。七年生とか八年生まではいけるらしいが、そこで自動的に除籍になるらしい。おばさん大学生っていうのも悪くはないが、ますますバカらしさが募り、授業もレポートもゼミも茶番でしかなくなるだろう。親からもいい加減にしろと怒られ、仕送りも止められ、わたしは生きるために風俗で働くしかなくなる。正直の息子さんも大きくなり、高校生になって正直の言うことを全然聞かなくなり、家庭内暴力を振るうようになり、家の中がめちゃくちゃになって離婚なんて空気ではなくなる。もう終わりだね。君が小さく見える。正直がそんなことを言い出し、そのまま自然消滅してわたしは金なし風俗オババになる。
大学の中に議論をするサークルっていうのがあって、大学生たちが何の責任もなく、ああでもないこうでもないとまるで現実的でないことを言い合うことに時間を費している。言い合った後はいつも飲み会があって、酒を飲んで飲んで酔って酔って酔っ払って、なにもかも分からなくなってその中の一人と寝てしまうこともある。この場合寝るというのは眠るという意味ではなく、セックスするということで、居酒屋の堀炬燵の中でことに及んだり、わたしの家のベッドでしたりする。性欲を掻き立てられた男とは、基本的にする。もちろん正直との関係もある。しかし、抗えないパターンが多い。流れができて、そういうモードになって、する。男たちはたいてい中出しをしたがって、わたしもいざその時になると中に出してもらいたくなるからそのまま受け入れちゃって、いつ妊娠するか分からなくてもうそれは恐怖でしかない。
いったいわたしは何をしているのだろう?
ふと我に返って、わけが分からなくなってそう思って死にたくなる時がある。正直は結局離婚も結婚もしてくれないだろうし、わたしはどんどん年を取って、そのうち仕送りも止められる。バイトなんてどれも長続きしなかったし、お金がないと生きていけないからもう死ぬしかない。でもわたしに死ぬ勇気なんてない。何度か試したけどダメだった。だから生きているしかない。生きているしかないのだが、生活は仕送りに頼っているからそれをずっと継続してもらうしかない。でもこんな暮らしがずっと続けば、わたしの頭はどうかしてしまう。脳がふやけ切って白子みたいになってその水分が抜け出て鼻をかんだ後のティッシュを丸めたものみたいになって、何も考えられなくなり、そこらじゅうの男たちに見境なくやらせまくって性病になってその毒が脳にまで回り、頭がおかしくなって死んでしまうだろう。
つづく(予定)