短編小説2 自由がたまらない



        1

 すみません。終電ヤバいんで帰ります。五千円置いときますんでお釣りはいいです。
 そう言い残して僕は席を立ち、靴を履いて外へ出た。ここから駅までだいたい十分くらいだ。今が十一時半だから、四十二分の終電にはぎりぎり間に合うはずだった。
 未だ酔客のたむろしている一番街の雑踏を足早に抜け、線路沿いの道に出たところで植え込みの中に頭を突っ込んでいる髪の長い女がいた。前のめりの土下座をするように突っ込んでいて黒のマイクロミニスカートが尻の上ところまでずり上がっていて、ベージュのパンツの大部分が丸見えになっていた。
 おっ、と思ったのは本能的なものだったが、ひょっとしてこの人はマズい状態なのかもしれないという心配も同時に働いた。
 そういう時、僕の身体は自然に動く。何事も放っておけないたちなのだ。
 大丈夫ですか?
 僕はとりあえず着ていた上着を脱いで彼女の下半身にかけ、そう声をかけた。
 反応はない。
 肩をつかんで、揺さぶる。
 大丈夫ですかー? 
 大きな声で怒鳴りながら上半身を引き上げる。
 色白で小顔のなかなかの美人だった。
 おっ、とまた反射的に思ってしまったが僕は右手で背中と頭を支え、左手で頬を軽く叩いた。
 ん、んーんっ!
 パッと目が開き、眩しそうに細めた後、僕の顔をまっすぐに見た。
「んーん?」
「ああ、よかった。大丈夫?」
 その瞬間頬がぼこっと膨らみ、ゲロが彼女の口から噴出した。
「あーああーっ!」
 僕の右腕と右半身はゲロに塗れ、彼女は尚もえづきながら白濁した嘔吐物を吐き出し続ける。
 酸っぱい臭いが鼻を突き、僕もかなり飲んでいたからもらいゲロの波に襲われた。
「あー、くるっ!」
 胃がヒクつき、喉に下からぐっと圧力がかかる。だが、ここで吐いたら格好悪いという見栄が勝り、唾を何度か吞み下して呼吸を整え、なんとかやり過ごした。
 顔を横向きにして背中をさすりながら吐き尽くさせると、僕は鞄の中にあったミネラルウォーターを彼女に飲ませた。
 三分の一ほど飲んだところで彼女は口を離し、もういい、と言った。
 腕時計を見ると、十一時五十三分。終電はとっくに過ぎていた。
「家どこ?」
 そう訊くと、彼女は薄く目を開け、鼻から息を吐いた。
「志茂の方。……こっから歩いて十分くらい」
「送るよ。ほら、おんぶしてあげる」
 ゲロまみれで始発を待ちたくなかったし、下心もなかったと言えば嘘になる。
「いい。……歩いて帰るから」
 そう言って彼女は立ち上がろうとしたが、よろけて尻もちをついた。
「ほら、ヤバいよ。どうせ終電なくなっちゃったし」
 手を差し出すと、その手を握り返してきた。
「……まじ?」
「さっきまであったんだけど、こんなことしてたから逃しちゃった」
 すると、彼女は下唇を噛んで気まずそうな顔をした。
「時間潰すついでに送ってあげるよ」
「でも、うち散らかってるよ」
 僕はかぶりを振った。「いい、いい。そういうのあんま気にしないから」
 すっかりその気になった僕は意気揚々と彼女を背中に背負い、のっしのっしと歩き始めた。

        2

 メゾネット式マンションの二階部分に彼女の部屋はあって、時間も経ってだいぶ回復してきていた彼女は階段の下で僕の背中から降りた。そして階段を上ると、窓から明かりが洩れているのが見えた。
「あれ、誰かいるの? 電気ついてるけど」
「ううん、いないよ。ずっとつけっ放しにしてるんだ」
 電気をつけっ放し? 防犯上の理由だろうか。
 鍵を開け、彼女は玄関のドアを開ける。
「ほんと散らかってるんだー」
 ドアの内側に広がっていた世界は想像を絶するものだった。
「これは……」
 散らかっているというレベルではない。食べかけの弁当や酒の缶、ペットボトル、バッグ、靴、服、下着、メイク道具、汚れた皿……、ありとあらゆるものがそこら中に散らばり、足の踏み場どころかほとんど床が見えなかった。部屋の中は蒸し暑く、するめと日本酒と醤油を混ぜたような臭いが漂っていた。
「エアコン……」
 ゴーゴー音を立てて熱い空気が吐き出されている。
「あ、リモコンなくしちゃったんだー」
「いつぐらいに?」
 彼女は靴を脱ぎ、ゴミの中に躊躇なく足を踏み出していく。
「半年くらい前かな。全然見つかんないんだよね。二十五度の暖房かかってるから、夏になるまでには見つけなきゃって思ってるんだよね」
 僕も仕方なく靴を脱ぎ、汁入りカップ麺や中身の入った開けたままのスナック菓子の袋を踏みつけながら中に入った。
「これさ、どうやって寝てるの?」
 部屋の奥にあるベッドも三分の二くらいまでゴミで埋まっている。
「えー、ここらへん」
 そう言って、彼女は実際にそこらへんに寝てみせた。ああ、ゴミがクッション代わりになって布団的な感じになっていた。
「片づけないの? ベッドの上だけでもさ」
 すると彼女の目に険が籠もり、「めんどくさーい」と呟いた。
 ああ、ですよね。
 下心も九割方引っ込み、僕はもう帰りたくなった。
「シャワー浴びようよ。エッチすんでしょ?」
 もうそういう気分ではないし、物理的に不可能ではないだろうか。
「え、どこで?」
「どこでもいいじゃん」
 あ、そっか。そんなことは気にしないのか。
「臭くない? ゲロ吐いちゃったし」
 いや、もうゲロどころではない。
「シャワー借りれるの?」
「いいよ、こっち」
 ゴミを踏みつけながら部屋を横切り、摺りガラスの蛇腹戸を開けて浴室を見せてくれた。
 想像を絶する光景を予感していたのだが、それほどでもなかった。カビやらシミやらはたくさん生えていたが、うちとそう大差はない。
「へぇ、ここはきれいにしてるんだ」
「そう。身体をきれいにする場所だからね」
 思考回路がよく分からなかったが、ここがあまりにも汚くて使えないと、体面も保てなくなるからだろう。
「一緒に入る? 洗ってあげるよ」
 僕の気分とは逆に彼女はやる気満々になっているようだ。
 スカートやら着ていた芥子色のニットやら下着を脱ぎ、そこらに置いて彼女は裸になった。乳首もピンク色でおっぱいの形も大きさもよく、尻もくびれた腰も芸術的なラインを描いている。
 下半身が即座に反応し、僕も着ていたものをそそくさと脱ぐと彼女の流儀に従ってそこらへんにぽいぽいと放った。
 シャワーを浴びながら僕らは立ちバックで一発やり、浴室から出るとゴミの上で騎乗位と正常位で一発、時間を空けてもう一度騎乗位とバックで一発ずつやった。
 むろんゴムなどというものの用意はなく、生理前だから大丈夫と言われてすべて中に出した。やりすぎたせいでへとへとになり、眠くなってそこらで寝てしまった。

        3

 佐々木ほのかというのが彼女の名前で、僕はその日から彼女の家に入り浸るようになった。仕事が終わると、開放感からかついほのかの家に行きたくなり、行くと毎回ゴミの上でセックスをした。
 それがはじめは週に一度くらいだった。だがいつからか三日に一度になり、二日に一度、そして一月もしないうちに毎日になった。自分の家に帰らなくなり、仕事も遅刻しがちになり、出勤が面倒くさくなってある日を境に行かなくなった。携帯ははじめは鳴りまくっていたのだが電話には出ず、ラインも既読をつけずに無視し続けると次第に鳴らなくなり、誰からも何も言われなくなった。
 腹が減ると我々は連れ立って近所のセブンイレブンに行き、酒やらつまみやら弁当やお菓子を大量に買い込んだ。会計はすべてほのか持ちで、彼女はいつもペイペイで支払っていた。そのお金がいったいどこから来るのか訊いたことがあるが、あいまいにぼやかして答えてくれなかった。僕の予想では実家がとてつもない金持ちか、外に行ったきり二、三日帰らないことがあったから、その間に身体を売っているかAVにでも出ているのだろうと思った。
 僕は彼女がいない間にエアコンのリモコン探しをする。暑くてたまらないからだ。ゴミをかき分けて床やカーペットの下、タンスの奥まで隈なく探す。ついでに部屋の片付けもしてしまいたくなるが、そこはぐっと我慢してリモコンだけに集中する。熱気が部屋に充満していて、窓を開けるとさらにエアコンが勢いよく働き出すのだ。
 ああ、でもなんで僕はこんなところにいるんだろう。
 ときどきふとそう思う。仕事もいかなくなってだいぶ経つから、おそらくクビになっている。金も使わないし、何にも困らない。コンビニとペイペイと部屋とエアコンさえあれば、人は生きていけるのだ。結局、ここまで自堕落な生活を送るというのが、気持よくて仕方がないのだろう。食べた弁当の殻をそこらへんに置く。ビールやサワーを飲んで、空き缶をぽーいと投げる。これは純粋な快楽と言っていい。気持ちいい。たまらないのだ。
 そんな生活を送っていると、当然ゴキブリは出てくる。見かけるとほのかはぎゃあぎゃあ言うから、僕はセブンイレブンでコンバットをたくさん買ってきて、ゴミの中に仕込んだ。ゴキジェットプロも買ってきて、見かけたら即刻抹殺するようにした。あいつらと共存する気はない。とにかく気味が悪いからだ。
 ゴミの量は徐々に増えていっている。その中に埋もれるようにして僕らはいろいろな体位でセックスをする。コンドームをコンビニで買ってきて、いつも着けるようにしていた。妊娠と性病が怖いからだ。どこでどんな男とやってきているか分からないし、妊娠してしまったらこの生活がすべてパアになる。──寝て食って、やる。もう一回やって寝て食って、またやる。そして寝て食って、やる。やる。やる。食う。食う。食う。寝る。起きて、やる。その繰り返し。性欲も食欲も睡眠欲も尽きることはない。身体から汗と共にずっと噴出し続ける。

        4

 ある日、エアコンのリモコンが見つかった。それは僕がこの部屋に来て六ヶ月と十日目のことだった。
 ベッドと壁の隙間に落ちていて、ブラジャーと食べかけのランチパックとストロングゼロの間に挟まっていた。僕はそれをエアコンに向け、電源のオレンジ色のボタンを押した。
 ぷしゅーという音と共にエアコンの羽が閉じていき、十秒後に静止した。
 完璧な沈黙が部屋に訪れ、腕の表面全体に鳥肌が立った。二十四時間浴び続けていた熱気が消え、部屋の空気の臭さを感じた。
 精子くさいし、するめくさい。酒くさいし、少しうんこのような臭いもする。
 僕は耐えられなくなってゴミを蹴飛ばしながら窓を開けた。
 あぁぁぁあああーーー、僕は顔を窓の外に突き出して、思い切り吸ったり吐いたりした。
 なんていい空気なんだ。くさくないし、熱くも冷たくもない。清々しいにもほどがある。
 振り返り、部屋の中を見ると恐怖を覚えた。ゴミの堆積がひざ下くらいまでの高さに達し、まるでそれは東京湾に浮かぶ埋め立て地のようだった。
 ああ、違う。こんなのは違う。絶対に間違っている。
 僕は部屋を飛び出すと駅前のマツキヨに駆け込み、四十リットルのゴミ袋のパックを十パック買ってきた。
 全部きれいにしてやる。なにもかもすべてむちゃくちゃきれいにしてやる。
 ゴミ袋の口を広げ、そこらじゅうのものを片っ端から放り込んでいった。缶とペットボトルは中に入っていた液体をトイレに流し、分別して袋にまとめた。服やら下着もブラジャー袋、パンツ袋、ニット袋、Tシャツ袋と種類ごとにきっちり分けて袋に入れ、靴もハイヒール、スニーカー、ローファーなどぴっちり分けて玄関に備え付けの靴箱の中に収納した。その作業を延々休まずまる二日程かかってやり終えると、ゴミ袋はネットで調べた可燃物の日の朝に二十往復くらいしてゴミ捨て場に五十六袋出し、缶とペットボトルは歩いて十分ほどのところにあるスーパーのリサイクルボックスに六袋分出した。衣類や下着やタオル、ベッドのシーツはコンビニの近くにあったコインランドリーで一万円かけて洗濯、乾燥をかけて、きっちり畳んでタンスの中にしまった。
 仕上げにマツキヨで買ってきたクイックルワイパーで水拭きと乾拭きを四往復して床も磨き上げ、ちり一つなくしてやった。
 風呂場もトイレもカビキラーとマジックリンで徹底的に掃除し、黒ずみもピンク黴も黒カビも根絶やしにした。
 ひーひひひひひひ……!
 やってるうちに楽しくなってきて、笑いがとまらなくなった。
 これはたまらない。もうほとんど快楽だ。亀頭から精液が出続けているような感覚をおぼえる。
 あはあはははは! あああぁぁぁぁー!
 ついでに除菌もしてやった。高濃度アルコールの強力な除菌シートで冷蔵庫から床から玄関のドアからトイレの壁まで拭きまくり、ウィルスというウィルスを絶滅させた。
 窓拭きをしている最中に突然ガチャッとドアが開き、ほのかが帰ってきた。
「あ、部屋片づけてくれたんだー」
 そう言いながら持っていたバッグをぽーんと投げ、帰りにコンビニで買ってきたであろう袋からばしゃーっとスナック菓子と酒とパンを床に放った。
「っていうか、広っ!」
 スマホを取り出して見ながら床に寝転び、着ていた黒いチェックの上着や履いていたコンバースのスニーカーをそこらへんに置く。
 あぁあぁあぁぁぁぁ……!
 これはこれで快感だった。痺れるようなむず痒いような感覚に脳全体が揺さぶられ、もうどうかしてしまいそうだった。
 ほのかの隣にごろんと横になり、低い唸り声を発しながら身体をクネクネさせた。
「え、それなに?」
 本当に意味が分からなかったようで、あのほのかが戸惑った感じの声で訊いてきた。
「いやー、もう、ねー、自由がたまらないと思って」
「は? っていうか寒いんだけど」
 そういえば、エアコンのリモコンどこ置いたっけ? 思い出そうとしてもどうしても思い出せない。ひょっとしたらゴミと一緒に捨ててしまったかもしれない。
「寒いのたえられない。なんとかしてよ」
「いや、寒かないよ」
 掃除をずっとしていたからか、むしろ暑いくらいだ。もう五月だし、エアコンなんてなくてもいいだろう。
「そうかな。ま、いっか。それよりストロングゼロ飲もっか」
「ああ、うん」と頷きながら、床に転がっていたアセロラ味のものを取り、プシュッと音を立てて開けた。ほのかは王道のレモン味を開け、我々は缶を重ね合わせて乾杯をした。
「んー、すっぱ」
 こっちもむちゃくちゃ酸っぱかった。ただただ酸っぱいだけで美味しくはなかった。前に飲んだ時はこんなに酸っぱかった記憶はない。アルコールのむせ返るような濃さも相まって、吐きそうだった。きっとこんながらんどうのような部屋の中で飲んでいるからだろう。
「あー、もういいや。残りあげるわ」
 半分ほど残っていたが、僕はそう言ってほのかに缶を差し出した。いつもと状況とか環境が違うからだ。メンタルが内臓にきている。
「やろっか。ベッドで」
 こうなったらセックスでもするしかない。ベッドの上もきれいに片付いて、洗いたてのシーツに替えておいたから清潔そのものだ。
「だねー。ベッドでやったことなかったもんね」
 だが、僕の下半身はピクリとも反応していなかった。なぜだろうと考えてみると、欲情していないからだと気づいた。エロくないのだ。空気が。雰囲気が。
 ほのかはストロングゼロを飲み飲みするすると服や下着を文字通り脱ぎ捨てていき、素っ裸になってベッドの上にダイブした。
「ホテルみたーい。変なのー」
 僕も服とパンツを脱いだが、裸のほのかの尻やらおっぱいを見ても陰茎はふにゅふにゅのままだった。
「ちょっとさー、あそこ広げて見せてよ」
「なにそれー、AVかよー」
 ほのかはそう言いつつ仰向けになってM字開脚し、あそこのびらびらを指で押し広げてみせた。
「あー、サーモンピンクだねー」
 そう言いながら自分のちんこを指でしごいたが、全然勃起しなかった。
「え、勃ってないじゃん。オナニーしすぎじゃね」
「しとらんわー。掃除しててそれどころじゃねえわ」
 よく見ると、ほのかのあそこもカサカサだった。
「あほくさー。ダメじゃん。ふにゃチンかよ」
 ゴミがないとだめだ。こんな片付いたきれいな部屋じゃだめなんだよ。あのシチュエーションじゃないと、もう勃起しなくなっている。
 ベッドから降り、ほのかは浴室へと消えていった。僕が徹底洗浄除菌したぴかぴかの浴室へと。
「ホテルじゃん。きもー!」
 すりガラス越しにそう言っているのが聞こえた。
 キモい。たしかに。これはかなり気味の悪い空間だ。
 僕は裸のままリモコン探しを始めた。あれがないと、空気がおかしくなる。熱々の空気を送り込んでもらって意識をぼんやりさせておかないと、頭がおかしくなる。
 だが、リモコンはいくら探しても見つからなかった。あらゆる引き出しを開け、中のものをほじくり出し、床に這いつくばって隙間を隈なく見てもない。
 ああ、本当に捨ててしまったのだ。夏になったらどうしよう。
 僕はパニックになり、とりあえず服を着ると外へ出た。リモコン、リモコン、リモコンと呟きながら、大通りへ出て目についたコンビニの中へ入った。
 店内を順繰りに見て回り、ランチパックのハムマヨと缶コーヒーを買って店を出た。
 駅前の西友の脇に小さな公園があって、そこのブランコに座り、買ってきたものを飲み食いした。
 見上げると空の高い位置に満月が浮かんでいて、それは異様に明るく、まるで夜の太陽のように地表に光を降り注いでいた。
 あー、やっちまったなぁ。
 コーヒーをすすりながら、僕はそう呟いた。
 こうして満月の下でぬるい風に吹かれていると、ほのかとゴミの中で過ごしていたことが異世界での出来事のように感じられる。
 勤めていた会社も上場企業で労働条件も給料も人間関係も悪くはなく、何の問題もなかったのに。
 ほのかと一緒にいればいるほど、今持っているものを一生懸命持ち続けていることがアホらしくなってしまうのだ。何もかも捨てて何にも縛られずに自由に生きられるような気になってしまうのだ。
 住んでいた部屋は今どうなっているだろう。家賃は毎月指定の口座に振り込みという決まりだった。滞納で音信不通状態だから、今頃中のものは適当に処分されて引き払われていることだろう。
 やり直せるだろうか。ここからまたやり直しはきくだろうか。
 コーヒーの缶を自販機横のリサイクルボックスに捨て、僕は駅へと歩き始めた。

 最寄り駅で降りて自宅マンションに帰ってくると、表札はまだ僕の苗字のままだった。鍵はなくしまっていたから僕はドアの横にある呼び鈴を鳴らしてみた。
 ややあってドアが内側から開き、父親が顔を覗かせた。
「おまえ、どこいっとんたんだ?」
 僕の顔を見て驚いた後、父は低い声で唸ってからそう言った。
「分からん。なにしとったんか」
「分からんじゃねえだろ。おまえ、どんだけ心配かけとったんか分かっとんのか?」
 それは紛れもない怒声で、申し開きの余地もなかった。
「アホやった。おれ、アホやったわ」
 ゴミの中でずっと女とやりまくっていたとは言えなかった。


 [了]

2022年09月04日