短編小説3 日常との戦争
1
その時私は自宅で寝ていたのだが、ドガーンという大きな重いもの同士がぶつかったような音とグラグラっという震動で目を覚ました。
「えっ、今のなに?」
「地震?」
隣で寝ていた妻と娘も飛び起きて、パニックになっていた。
「交通事故じゃないかな」
隣か向かいの家にでも車が突っ込んだのかもしれない。
ベッドから出て階段を駆け下り、玄関のドアを開けた。しかし、それらしい光景はなく、街灯の白い光に照らし出されているのはいつも通りの家の前の景色だった。
ややあって隣の家のドアが開き、ご主人が顔を見せた。
「いまの何ですかね?」
目が合うと、私はご主人にそう訊ねた。
「いや、すごい音でしたよね」
「そうそう、かなり揺れましたしね」
地震でも事故でもないとすると、あれかもしれない。
「ここらもヤバいかもしれませんね」
「ああ、そうか」
ご主人も合点がいったようで、はぁーと長いため息を洩らし「じゃ、失礼します」と言って家の中に引っ込んだ。
私もドアを閉めて鍵をかけると、トイレで小便をしてから二階の寝室へ戻った。
「イロンらしいよ。宮台のイロン。ミサイルだって」
妻はスマホを見ながらそう言った。
ああ、やはりそうか。嫌な予感は的中していたようだ。
「ツイッターで上がってる。たてもの爆発炎上してるみたい」
ここから車で二十分くらいのところにあるショッピングモールだった。ユニケロやブックエフやニテリが入っていて月に一度くらいの割合で行っていた。
「今月中には避難しないと」
私はその言葉に無言で頷いた。
仙台あたりまではすでにロシア軍の占領下にあり、ここらももう時間の問題と言われていた。この家ももう諦めなきゃならない。イロンにミサイルが撃ち込まれたとなると、もう家がどうこうとかいう話ではない。
「今週末おじさんとこに連絡してみるよ」
大阪に父の弟のおじさんが住んでいた。頼れるあてとしてはそこくらいしか思いつかない。しかし精神病を理由に徴兵を忌避した私を、おじさんが温かく迎えてくれるとは思えなかった。
電気を消して布団に入り、再び眠ろうとしたがそんなことは不可能だった。こうしている今にも、ミサイルが飛んでこないという保証はなかった。イロンは狙われて爆撃されたのだろうが、その流れ弾一発でも飛んでくればここら一帯を一瞬にして焦土に変えてしまうことだろう。
アメリカ軍は核保有国であるロシア軍と衝突することになれば、それは核戦争になって人類が滅亡してしまうという理由で、国後島から知床への侵攻が始まるや否や日本から引き上げてしまった。いったい何のために何十年も駐留していたのかと日本中が唖然としたが、それはどうやらあくまで抑止効果のためだけのもののようだった。
知床は二日で攻略され、次に釧路が戦場になった。札幌が陥落するまでには一ヶ月近くかかったが、ロシア軍の圧倒的な戦力に自衛隊は終始押しまくられ、やがて北海道全土がロシア軍の手に落ちた。
青森から盛岡、福島から仙台をロシア軍は次々と攻略し、先月には日本全国の十六歳から六十五歳までの男子全員を対象とした徴兵制が敷かれた。しかし、足りていないのは兵士の数だけではなく武器弾薬や食糧、医薬品などの兵站も極度に輸入に頼っていた日本は制空権を奪われ海上封鎖をされると、あっという間に枯渇した。
頼りのアメリカや西ヨーロッパ諸国も、支援をするするとは言いつつ具体的な対応は曖昧なままだった。ドイツやフランス、イギリスはウクライナからポーランドへとじわじわと侵食しつつある西側戦線へ全精力を傾けていたし、アメリカは中国に侵攻された台湾と三十八度線を越えて朝鮮戦争を再開させた北朝鮮への対応で手いっぱいだった。
茨城や栃木の空爆をロシア軍は始め、次は埼玉だろうと言われていた。だが、こんなに早く、こんな近くにミサイルが飛んでくるとは思ってもみなかった。戦況はネットやテレビで見て知ってはいたが、どこか遠い国の出来事のようで現実味はなかった。
2
朝になると、ニュースでイロンのことが報じられていて、どうやら駐車場に落ちたようでドローンやヘリで空撮された大きなクレーターの映像が繰り返し映っていた。建物にも被害は及んでいて、北側のニテリの片側半分が大きな鉄球がぶつかったようにグシャッと内側に凹んでいた。専門家の解説によれば着弾時の爆風と金属片によるものらしい。しかし、南側のイロンの専門店街や直営のスーパーや売場には被害はなかったようで、今日の営業時間を十一時に遅らせ、閉店時間は夜の八時までとするとイロン側からは発表されていた。明日からは朝九時から夜十時までの通常営業へと戻れる予定とのことだった。
電車の状況が気になったが、特に運休や遅延の情報はなく、在来線は問題なく動いているようでホッとした。
小学校からも特にメールや連絡はなく、いつも通り授業は行われるようだった。
「あー、学校休みになるかと思ったのにー」
娘の和美はテレビを見ながら悔しそうにそう言った。
「閉店後で良かったよねー。駐車場とか建物の中に人はいなかったって」
私は自分で食べる分の冷凍パンをトースターへ入れ、四分のスイッチを入れた。
「ロシアもそこらへんは考えてくれたんじゃない? 人のいる土日の昼間とかだと国際社会からまた猛抗議されるだろうし」
「でも営業できなくなったじゃん。一日営業できないだけでも何百万かは飛ぶし、在庫とか建物の復旧までには相当時間かかるよ」
上場企業だし、従業員の給与補償もしないといけないだろう。
「建物とか在庫品とかは保険掛けてあるだろうから、むしろ新しくなっていいんじゃない?」
そう言えばそうだ。
「でも、これ保険下りるのかな?」
「ミサイルで爆撃された場合の条項が契約書に入っているかどうかだな」
世界は半年前には信じられない状況下にあり、戦争が各地で始まるとは誰も予想していなかった。だからおそらく契約書には入っていない条項だろうが、これが天災や天変地異に該当するかが焦点となる。保険会社はロシアに損害賠償請求をしろと言うだろう。だが、そんなことをロシアがしてくれるわけはなく、この戦争が終わる見込みも立っていない。そうなると裁判をするしかない。それもこれも、東京が陥落せずに日本という国が存続すればの話にはなるが。
私は七時に家を出ると、いつも通り七時二十一分の電車に乗って会社へ向かった。車内はいつも通り満員で、ロシアと戦争をしていることなど日本のサラリーマンたちには関係がないようだった。ミサイル攻撃や空爆が南下してきて東京へ迫ったとしても、死ぬのも厭わずみな会社へ通勤することだろう。自分の会社のオフィスが入っているビルが爆破されない限り、線路が爆撃されて電車が停まったとしても会社が休みになることはなく、タクシーやバスや車を使って何としてでも出勤する。いつになったら動き出すんだと駅員に摑みかかり、爆撃されたくらいで運休してるんじゃねえよと怒鳴り散らす人が続出する。こっちは仕事なんだぞ、どうしてくれるんだ、と。
そう言えば、徴兵制が敷かれているはずなのに、どうしてこんなに電車が混んでいるのか不思議だ。病気ややむを得ない理由がなければ、自衛隊に入らなければいけないはずなのだが。みんな何だかんだ理由をつけて忌避しているということか。私も人のことを言えないが。
九時前に会社に着くと、タイムカードを切り、パソコンを立ち上げてメールをチェックした。取引先からの嬉しくもないメールが何件も入っていて、それに重要な順に時間をかけて返事を書いて送った。
「お、あれ、篠塚さん、ニュースで見たよ。宮台のイロンにミサイル落ちたって。近くだったよね。大丈夫だったの?」
小山課長が顔を見るなり、そう訊いてきた。
「ええ、夜中にドカーンって音がして家族みな飛び起きましたよ。でも、特に家には被害はなかったです。十キロ以上離れてますしね」
「へぇ、そうなんだ。いよいよ埼玉まで来たかって感じだよね」
「はい、今月中には避難しないとって家族とも話してて。大阪に叔父がいるので、そこを頼ろうかと」
すると、みるみる小山の顔が曇った。
「えー、それちょっと困るよ。せめて三月の決算までいてもらわないと。事情は分かるけどさ、タイミングが悪いっていうか少しは会社のことも考えてよ」
来年の三月となると、あと四ヶ月以上先になる。
「はぁ、まあそうですよね。徴兵のせいで人減ってますしね」
「そうそう。俺もさ、そりゃお国のためだから応じようとは思ったよ。でもさ、ここで俺抜けちゃったらさ、この会社どうなるのって感じじゃない。分かるでしょ」
課長が抜けても特に害はないとは思うが、とりあえず頷いておいた。
「そういえば課長はどうやって徴兵を回避したんですか?」
「ああ、そりゃね血糖値が三年くらい前から悪かったから、かかりつけの近所の医者に重篤な糖尿病って診断書かいてもらったんだよ」
ああ、誰でも似たようなことをしているんだな。
「戦争もいい加減にしてほしいよね。こっちも忙しいんだっつーの」
ロシアの兵士たちは日本人たちがそんなことを考えているとは思ってもいないことだろう。
そこでその話は終わってしまい、結局三月の決算まで残ることを約束させられてしまったような形になった。戦争が始まったからといって、仕事から逃れられるわけではなさそうだ。
その日は夜十時過ぎまで仕事をして、頭が痛くなってきたところで上がらせてもらった。いつもカバンの中に持ち歩いているロケソニンを飲み、電車は運よく座れたから半分寝ながら帰ってきた。
家に帰ってくるなり、妻のもとみに避難のことを会社に話したか訊かれた。
「うん、でも三月の決算までいてほしいって。まあ、たしかに俺がいないと決算乗り切れないからね」
「こっちは決算どころじゃないんですけど。イロンにミサイル落ちたってことは、ここにいつ落ちてきてもおかしくない状況じゃないですか?」
「うん、まあそうだな」
「そうだな、じゃないよね。すぐ避難しなきゃいけないと思うんですけど、違いますか?」
私は腕組みをして、低くうなった。
「うん、でも、仕事が……」
「仕事なんて、もうどうでもいいじゃない! ミサイル落ちてきたら死ぬよ! 家も庭も車も駐車場も全部が吹っとんでバラバラの黒焦げのがれきになるってことだよ」
「ローンはどうなる?」
三十五年ローンを組んでいて、月々の支払いが八万五千円ある。
「いや、ローンは続くんじゃない。保険下りるかどうかは……」
そこで、もとみはトーンダウンした。
「だから結局今朝の話だろ。分かんないけど、たぶんミサイルによる全半壊は、保険の条項に入ってないよ。そんなの見たことないし」
「じゃあ、ローンだけ続いて、家はなくなるんじゃん」
「そうだよ。もう、最悪だよ」
私はそこで意図的に一呼吸置いた。
「でも、いまのところここにミサイルは落ちてきてないし、家も壊れてないから、いままで通り仕事して、こつこつローンを返してくしかないってこと」
ミサイルのことは実際に落ちてきてから考えればいい。宝くじを十枚くらい買って、当たったらどうしようかとあてもなく考えているようなものだ。この家が全半壊するほど近くにミサイルが落ちてくる確率なんて、万に一つもないだろう。
ビールを飲みながら夕飯を食べ、風呂に入って一時過ぎに寝た。
その日は変な夢を見た。大阪のおじさんが会社に来て課長に文句を言い始め、怒鳴り合いになり、さらにはつかみ合いの喧嘩になり、それを私が必死になって止めるという展開だった。課長がおじさんの顔を殴って眼鏡を吹っ飛ばし、それに逆上した私が課長の尻におもいきり蹴りを入れたところで目を覚ました。
ウォ~ンウォ~ン! ウォ~ンウォ~ン!
「うっせーな。なにこれ?」
隣で寝ていたもとみも目を覚まして、むくっと起き上がった。
どこかで聞いたことがある。でも、寝起きで頭が回らない。
「空襲警報じゃない。映画とか、ほらウクライナの時ニュースでみた」
「あぁ、そっか。それだ。それにしても爆音だなー」
窓はきっちり閉めているのに、それでもうるさい。
「あれ、でも、どうすんだったっけ?」
「いや、俺に聞かれても」
さいてま市の広報に割と大きく載っていた気がするが、ちゃんと読んでないし、無論覚えてもいない。
「地震のときと一緒じゃない?」
「ああ、じゃあ玉小か」
娘が通っている小学校が災害時の避難先だったから、とりあえずそこへ行くくらいしか思いつかない。
「でも、玉小に避難したからってミサイル飛んでこないとは限らなくない?」
「いや、ロシア軍もさすがに小学校は狙わないべ」
「そんなの関係ないと思う。北海道とか仙台とか、病院とか学校とかも標的になってたみたいだし。むしろ狙われるかも」
たしかにこれまでにやってきたことを考えれば、ロシア軍にそういった手心を期待するのは間違いだろう。
「ていうか、広報に載ってた。これ鳴ったときのマニュアル。さいてま市の広報。新聞入れのとこに入ってる」
「あ、ごめん。それ先週の土曜日の新聞回収に出しちゃってる」
「おい、まじかよ。載ってるなーって思ってたのに」
「じゃあ、新聞入れの中に入れないでよ。あそこ入ってたら新聞と一緒に出すに決まってるでしょ!」
ウォ~ン! ウォ~ン! ウォ~ン! ウォ~ン!
「あー、うっせえな。もー!」
とりあえず我々はベッドから出て娘の和美を起こし、三人で下に降りた。
テレビを点けてみたが、夜中の三時過ぎでどの局も放送休止になっている。
「ネットは? さいてま市のホームページ」
スマホで見てみると、通常営業的な「市長の部屋」や「さいてま市議会レポート」などのページが並んでいるだけで、空襲警報が鳴ったときのマニュアルがどこにあるのかが分からない。
五分ほど格闘して探してみたが、結局見つからなかった。
「ダメだ。ないよ。ない。くそー」
ウォ~ン! ウォ~ンウォ~ンウォ~ン!!
「へんなの鳴らしやがって。明日クレーム入れてやる」
「とりあえず玉小避難する?」
「いや、もういいよ。面倒臭い。俺は明日も仕事だし、無視して寝る」
冷蔵庫からビールを取ってきて、耳栓をして寝ることにした。今から寝れば三時間くらいは寝られる。
そして寝室のベッドで胡坐をかき、ビールの蓋をプシュッと開けたその時、ドーンという下から突き上げるような地鳴りが聞こえ、家全体が激しく揺れた。
階下から娘と妻の悲鳴が聞こえ、持っていたビールがベッドのシーツに盛大にこぼれた。
私は揺れが収まるのを待って階段を駆け下り、二人に「大丈夫か?」と尋ねた。
「大丈夫だけど……」
「っていうか近いよな。めっちゃ近い」
和美ともとみは大きく頷く。
イロンの時よりも倍以上大きな音と揺れだった。
よく分からないが、こんなのをくらったら、小学校だろうが自宅だろうが、被害は変わらないのではないだろうか。建物は木っ端みじんに破壊され、中にいる人は全員即死だろう。
戦略的にこんな住宅街にミサイルを撃ち込んでも意味はない気がするのだが、ロシア軍兵士はきっとそこまでは考えていない。さいてま市が人口百三十万人の大きな市でさいてま県の県庁所在地だから、戦車の中でウォッカを飲みながらそっち方面へ向けて適当にぶっ放しているだけだ。
「どうしよう…」
もとみが不安げにつぶやく。
「外も危ないだろうし、今更避難しても」
「そうだな。防空壕みたいのがあるわけでもないし、どこにいても──」
空から天井が降ってきて、轟音と共にもとみも和美もわたしも部屋も白い光に包まれた。
[了]