短編小説5 それはもう地獄でしかない



 わたしのことはとりあえず、いい。どうにでもなるし、どうにでもしてくれて構わない。
 死んでも誰も悲しまないし、生きている価値もない。ゴミかゴミ以下の人間だ。いつもそうやって思ってきたし、それはいまでも変わらない。死んでも変わる気がしない。

 東野七海子は、ハイボール缶を飲みながら右鼻をほじくり、ツイッターにそう書き込んで送信した。
 大きな黒いかたまりが取れて七海子はおーっ! となったが、ゴミ箱もティッシュも近くになかったから指先で丸めてデコピンでそこらへんに飛ばした。
 ツイッターアカウント名はメス猿。アイコンは並沢まさみの顔写真をネットから拾ってきて勝手に使っている。これがさみしくてモテない男たちをぐいぐいひきつける。適当に思ったことをつぶやいているだけなのに、フォロワーが勝手に一万人を突破した。
 さっそくさっきのツイートにも返信がばんばん来て、みんな「あなたは大丈夫」とか「お願いだから生きていて」とか寄り添う系の無責任なことばを全然知りもしない人たちが送ってくる。
 はっきり言ってバカじゃないかと思うんだけれど、その下心と親切心が混ざり合っている言葉を見るのが楽しい。この人は下心:親切心が7:3くらいかな、とかいや、8:2だなとかこいつは9:1だなとか。同じ人間の脳内でブレンドされているものだから、そもそも分けるのが不可能なのかもしれない。きれいな若い女を見れば、やりたくなるのは当然だろう。それをゼロにするというのは人間であることをやめるということだから、求めること自体が間違っている。

 メス猿さん、あなたにラブ注入することによって救いたいです。
 今日の午後四時に池暴露駅のフクロウのところで待っていてください。
 わたしは黒と黄色のちゃんちゃんこを着ています。

 ハイボール缶を飲み干し、七海子がトイレに行って戻ってくるとこんな返信が届いていた。
 ちゃんちゃんこ?
 なんだっけと思って検索してみると、赤いアホみたいな服を着せられたおじいちゃんの画像が出てきた。
 ああ、まあいいや。着物みたいなやつね、と思って

 誰が行くかボケ。
 バーカ、死ね。

 と返信した。
 五分もしないうちにいいねが百以上ついて、三秒おきくらいにどんどん増えていった。

 でも、やっぱ行くかも。ラブ注入してほしいし。

 ハイボールを飲み干した勢いで、完全に冗談でそう打って送信してみた。
 すると今度は一秒おきにいいねが百以上増えていって、あっという間に一万いいねを超えた。
 ああ、久しぶりにバズったね。結局エロかよ。
 七海子はバカらしくなって、外に出て煙草に火を点けた。
 ぷっはーと最初の一服目を吐き散らし、鼻から息を吸い込むと、目がチカチカした。
 クソだな、クソ。みんなヤリたいだけかよ。
 人間は性欲からできてるんだろうな。ま、結局そういうことですよね。
 腹立つなー。

         *

 今日の最高気温は十一度で、七海子はもこもこのピンクのフリースを着て池暴露のフクロウ前に立っていた。下は黒のひらひらミニスカートに生足ブーツ。
 ちゃんちゃんこを着ている男を探したが、それっぽい人は見当たらなかった。
 くそー、冷やかしかよ。
 実際の七海子は並沢まさみというより鈴川さりなをすっぴんにしてぬるま湯にたっぷり一日くらい浸けてふやかしたような顔をしていたから、無理もなかった。集まったフォロワーたちは並沢まさみ似の美女を探していて、ちゃんちゃんこを着るのは見つけてからでも構わなかった。まさか痛い恰好をした四十八のおばさんが本気モードで来ているとは誰も考えていなかったのである。

 フクロウ前着いた。ピンクのフリース。黒のミニです。
 ちゃんちゃんこどこだよー。

 堪えきれず、七海子はそうツイートし、実物を目にしていないフォロワーたちによるいいねが百以上ついた。
 そのころ、ラブ注入というツイートを発信した張本人ではないけれど、ヒマだし池暴露も近いしという理由で、完全なる興味本位でフクロウ近くに来ている男がいた。
 多田祥太、二十五歳。職業、派遣工員。今は川口のねじ工場。金はないが、顔は中の上、十点満点で言うと七点弱くらい。学歴もなく地頭も良くないが、暇な時間だけはたっぷり持て余している。
 祥太はフクロウ周りを見渡し、ピンクのフリースを見つけた。そして、五メートルほどの距離を取りつつ正面に回り込み、七海子の顔を凝視した。
 七海子はその時、口が臭くないか気になってきて、いつもポケットに入れているキシリトールガムを一つ取り出し、Lサイズの黒マスクを外して口に入れた。
 げっ、ババアじゃねえか!
 マスクを外した七海子の顔を目にし、翔太はギョッとした。
 並沢まさみとは似ても似つかない。長い髪も金髪に染めて若作りをしているが、紛れもないババアだった。おいおい、ちょっとこれは……。

 ラブ注入ツイートをした人妻斬りサムライこと田之上雅史(49)は、リュックの中にグググの苦太郎コスプレのちゃんちゃんこを仕込み、池暴露の東口を出たところだった。駅前のマツケヨで買った超薄型コンドーム(0.03mm)一箱もリュックの底の方に隠してある。
 きもデブハゲ眼鏡という四重苦を持って生まれた雅史は女性にはまったく縁がなく、生まれてこのかた実家暮らし、素人童貞ながらも懸命に生きてきた。高校は県立のトップ校に進学し、成績は上位クラスをキープし、鷲田大学の理工学部に現役合格した。大学卒業後は大手機械メーカーのペナソニックに就職し、現在半導体部門総務部第三課長として上からの熱い信頼と下から強い恨みと高い収入を得ている。
 雅史は七海子のツイートを見ていいねを押すと、フクロウ前に急いだ。そして、黒のミニスカートとピンクフリースの金髪を確認した。
 おっ、生足! やばっ!
 顔は大きな黒いマスクで覆われていて下三分の二くらいが見えなかったが、これは悪くない。行くしかない。
 雅史はリュックを降ろし、中から苦太郎のちゃんちゃんこを取り出した。
 
 おい、ババアだぞ。詐欺じゃねえか。

 多田翔太はちゃんちゃんこどこだよー、の返信ツイートとしてそう打ちこみ、送信ボタンを押そうとしていたところだった。
 ん? あれ、ひょっとして……。
 目の前にいた男がリュックを背中から降ろし、その中から黄色っぽいものを取り出そうとしていた。
 人妻斬りサムライ! うわっ、なんだこいつ。きもっ!
 田之上雅史の容姿を目にした祥太は、これはいくらあのピンク金髪ババアでも引くだろうと察した。
「ねぇ、ちょっと」
 祥太は声をかけた。
「はい?」
 雅史は手を止め、後ろを振り返った。
「人斬りサムライでしょ。ちょっと待てって」
 いきなりアカウント名をバラされ、雅史は動揺して顔と頭皮を赤くした。
「あれ、そうとうヤバいババアだよ。さっきマスク取ったとこ見たんだけど、アジの開きみたいな顔だった。年も五十はいってる」
 祥太は雅史の手からちゃんちゃんこを奪い取った。
「やめときなって。並沢まさみとは全然似てない」
 雅史は手を伸ばし、翔太の手から荒っぽくちゃんちゃんこを奪い返す。
「あんた誰ですか。僕とメス猿さんとの話なんだから、余計な口突っ込まないでくださいよ!」
 メス猿という自分のアカウント名が聞こえ、七海子はそっちを振り返った。すると、若い男と太ったハゲが黄色い服を奪い合っているのが見えた。
 あ、そういえば黄色と黒のちゃんちゃんこって言ってたっけ。
 遠目だったが、七海子は二人の顔と容姿を見比べ、若い方はアリだけどハゲデブはなしだわ、と即座に判断した。
 若い方が人妻斬りサムライであることに賭けて、七海子は二人のもとに駆け寄った。
「人斬りサムライさん?」
 きもデブの方が「はい」と振り向いた。
 うッ! こっちかよ。
「あなたは?」
 酒やけしたしゃがれ声で七海子は祥太に訊く。
「あ、ツイッター見ただけです。どんな人かなーって思って」
 こっちだな。だんぜんこっち。
「あ、じゃあさ、これから三人で飲みに行かない? オフ会ってことで」
 祥太はおいおいおいおい、とこの展開に戸惑っていた。ハゲデブとピンクバアアと飲み会かよ。それはもう地獄でしかないな。
「いや、おれ、ちょっとこれから行くとこあるんで。すみません」
 そう言って軽く頭を下げ、翔太はそそくさとその場を後にした。
「はいじゃあ、行きましょう。どういうとこがいいですか?」
 雅史はリュックにちゃんちゃんこを仕舞い、すばやく背負った。
「あ、いや、ちょっと……」
 このきもデブとサシ飲みか。それはもう地獄でしかないな。
「じゃあ、焼肉とかどうですか?」
 焼肉! それは、え?
「どうせだから高いとこ行きましょうよ。僕出しますんで、お金とか心配しないでいいですから」
 雅史は地元の駅前のATMで三十万円を下ろしてきていた。
「蛇々苑とかどうですか。芸能人とかよく行ってるみたいですよ」
 池暴露の東口とムーンシャインのところに一店舗ずつある。これもリサーチ済みだった。ホームページを見た限りでは東口店の方が雰囲気があってよさそうだった。
「あ、焼肉とかはちょっと……」
「じゃあ、イっ、イタリアンはどうですか? パスタとか」
 料理の種類の問題ではない。とにかくあんたと行くのがあり得ないだけなんだけど。
「イタリアンかぁ……」
「えっとじゃあ、和食は? 海鮮丼とか?」
 海鮮丼。わざわざ池暴露に来て食べるものでもない。
「あ、ちょっとお腹痛くなってきたから、…いったん帰ろっかな」
「トイレですか? 駅の階段下りたとこか、コンビニがたしかあっちにありますよ」
 ウンコと思われたようだ。
「でも、頭もちょっと痛いから」
「頭痛薬もってますよ。ラキソニン。あれ、よく効くんですよねー」
 雅史はリュックをおろし、中をガサゴソし始めた。
「気持ち悪いかなー」
「吐き気ですか。胃腸薬ありますよ。ペンシロン。これも効くんです。二十分くらいですーっとらく──」
「あなたが」
 七海子は雅史の言葉を遮ってそう言い放った。
「え?」
 七海子は眉間に皴を刻み込み、雅史の顔をじっと睨みつける。
「あなたが気持ち悪い」
 目が泳ぎ、雅史の手からラキソニンがリュックの中に落ちる。
「帰る」
 そう言い残して、七海子は雅史を置いてフクロウ前を後にした。
 祥太は帰りの埼京線の中で、運よく座れた優先席でスマホを取りだし、ツイッターを立ち上げていた。
 ピンクのフリースのツイートを出し、リプライにこう書き込んだ。

 ババアでした。
 サムネ詐欺。並沢まさみじゃなくて膝本まさみの劣化版。
 金髪ミニスカで若作りしてたけど、めっちゃ痛い。
 地獄でしかない。

 送信ボタンを押し、スマホをポケットに仕舞う。
 電車が駅に停まって扉が開き、足もとのおぼつかないおばあちゃんが乗ってきた。
「ああ、ここどうぞ。」
 祥太は席を立ち、おばあちゃんにそう声を掛けた。
「すみません。ありがとうございます」
 小さな声でおばあちゃんは礼を口にし、空いた席に腰を下ろした。
 スマホの通知音が鳴り、見るとツイートにいいねがついたようだった。
 ツイッターを立ち上げるといいねが五百件を超え、さらに凄まじい勢いで増えていて、リツイートも百を超えていた。
 ああ、バズったね。
 高揚感に包まれ、翔太はおもわずほくそ笑んでいた。
 でも、あの二人、あの後どうなったんだろう。
 と思って見ていると、人妻斬りサムライからさっきのツイートにリプライがつき、そこにはこう書かれていた。

 顔も性格も、すべてがう○こでした。
 もう地獄でしかない。

 数分後、メス猿のアカウントは削除された。


[了]
2022年12月11日