中編文画1-2 言葉は噓を吐き、行動は真実を語る の続き
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コンビニでビールを買った帰りにポストを覗いてみると、こんなチラシが入っていた。
NPO法人ワーキングコーポレーション 学童クラブりく
職員急募! 子供たちの宿題をみたり、遊びの相手をしたりする簡単なお仕事です。
その他に時給やらシフト制で週二日からとか連絡先など書かれていた。一見した感じでは条件的には悪くない。
へぇ、学童か。聞いたことはあるけど、実態はよく知らない。共働きの親が放課後の子供を預けておくところ、くらいの知識しかない。
バイトでもしてみるかと思っていたところだったし、本当に子供たちの宿題をみたり遊びの相手をするだけだったら、わたしでもやれるかもしれない。わたし自身が性格的に子供なためか、昔から子供を相手にするのは嫌いじゃなかった。子供より、体面ばかり取り繕って嘘ばかり吐いている大人の方がよほど信用ならない。きっとわたしはいわゆる〝大人〟が嫌いなのだろう。大人的なものの拒絶の上に今のわたしが成り立っている。
ビールを飲みながらそのチラシを五分くらい眺めていたが、なんだか自信がなくなるというか、現実的に考えられなくなってやっぱりやめておくことにした。
NPOっていうのも最近やたら聞くけど、なんだかうさん臭い。営利目的じゃないってことだけど、だったら何を目的にしてるんだろう。とにかくよく分からないし、あまり関わりたくない。宗教とか絡んでるかもしれないし。
でも、とりあえずバイトでも始めてみるか。半年くらい前にコンビニのバイトを辞めて以来働いていない。あそこはひどかった。オーナーが加齢臭キツめのデブおやじでわたしのことをずっとエロい目で見てたし、従業員になにかと難癖をつけてきてやたらと威張り散らしていてキモくなって一週間で辞めた。その前が牛丼家。入って四日目くらいに、熱々のお茶を運んでる最中に後ろから注文を受けて、振り返った拍子に手が滑って座って牛丼食べていたハゲのお客さんに頭からお茶をぶっかけてしまった。その人には謝り倒したが、でも心が完全に折れていて、具合が悪いからと早退してそれっきり。バイト経験はだいたいそれくらいで、もう働くこと自体が嫌になった。お金をもらうためにやりたくもないことを我慢して頑張る。それが働くということ。すなわち労働。なぜなら人間はお金がないと生きていけないから。働かないわたしが生きていけているのは、お父さんとお母さんが働いて得たお金を毎月仕送りしてもらっていて、携帯代も学費もここの家賃も光熱費も全部払ってくれているからだ。正直と結婚すれば、正直が働いて得たお金でそれらを払うことになる。わたしも働かなければそうなる。
お金、お金、お金、お金。
あぁ、お金さえこの世になければ、みんな幸せになれるのに。お金がみんなを苦しめている。お金がみんなを不幸にしている。諸悪の根源。世界中の人たちがこれに振り回されていて、みんながみんな不幸になっていく。
そんなことを考えていると絶望的な気持ちになってきて、わたしは誰かと話したくなって目の前にあった学童クラブ職員急募の番号に電話をしていた。
「はい、学童クラブりくでございます」
ほぼワンコールで男の声がそうこたえた。
「あのー、ちょっと働きたいっていうか、もう人生に絶望しちゃってて」
「はい? 絶望っていいますと」
「どの仕事してもぜんぜんうまくできなくて、彼氏ともウソだらけの関係で」
電話口の男はしばらく絶句した後、こう言った。
「たいへんご苦労なさってきたんですね。一度、その、面接がてらお話を聞かせていただけませんか。うちの事業所というかワーキングコーポレーションというNPO法人は、職員でそういう方もたくさんいらっしゃるというか、むしろそういう方ばかりでして」
「え、そうなんですか?」
「ええ」と男は答えた。「実はわたしもその一人で、いろいろとワケありでして」
「って言いますと?」
「いやいや、長い話です」
と言って男は軽く笑い、詳しくは面接の時に、ということになった。明日の十一時に面接を受けることになり、男は最後に広田と名乗った。
あぁ、宗教だな、と直感した。
宗教団体のフロント企業というやつだ。職員募集というテイを装って、行ったら宗教の勧誘をされまくる。集会へ来いだの偉い先生の講演会があるだの言われて、サクラだらけの密室へ連れていかれ、入信を迫られて入会書に署名捺印するまで帰れなくなる。
わたしは、学童クラブりく、でスマホで検索をかけてみた。
グーグルマップとホームページがヒットした。ホームページの方に行ってみると、子供たちが楽しそうに遊んでいる写真のバックに、学童クラブりく、というロゴが浮かび上がっている。入室説明会のお知らせやら学童保育の方針やら無難なお題目が並んでいて、その下にブログのページがあったから覗いてみた。
クリスマス会や新年会、芋掘りなど楽しそうに職員と子供たちが戯れている写真が短いコメントと共に掲載されている。
あれ? と拍子抜けした。普通じゃないか。
おかしいな。変な儀式の様子とか偉い先生のデカい顔写真とか長ったらしい肩書きとか講話なんかが載っているかと思ったのに。
いやいやいやいや、これはこれ。
今度はワーキングコーポレーションで検索してみた。
パステルカラーがまぶしいトップページが表われ、沿革やら運営方針やら、協同労働とか協同組合とかなんかよく分からない小難しい文言がだらだらと書いてあった。
宗教っぽくはないが、そういう予防線を張っているだけかもしれない。いや、よく分からない。なんだかとにかくよく分からない。
ためしに面接だけ行ってみようかな、と思った。さっき伝えた電話番号もデタラメだし、履歴書を持ってこいと言っていたが、そんなものを提出したら個人情報だだもれで、ばんばん電話がかかってきて出なかったら家まで押しかけて来られそうだから、書いたんだけど家にうっかり忘れてきちゃった的な感じにしよう。なんとかの集いとかなんたら先生の講演会とかに誘われても行かなければいい。行きます、行きます、絶対に行きます、と約束して行かない。興味を持ったふりをして、前のめりを装って安心させ、行かない。
広田は慌ててわたしがさっき伝えた番号に電話をかけるが、適当に思いついた番号を言っただけだから、その番号は現在使われておりません、になるか、どこかの誰かにつながって、その人に開口一番もう集いは始まってるんですが、いまどこですか? と訊く。は? なんですか? と訊き返され、広田はだからもう時間過ぎてるんですけど、となじるが、あのー、どちら様ですか? と訊かれ、ようやく広田はその電話口の相手がわたしではないことに気づく。あの、すみません、失礼ですがお名前……? と聞いたところで児島だよ! と怒鳴られて電話は切られる。
いける、いける。それで大丈夫だ。名前は伝えたが苗字だけだし、吉田という苗字は全国ランキングでだいたい十位前後で、八十万人くらいいるらしいからほぼ匿名に近い。
あー、いいね。おもしろい。おちょくってやろう。新興宗教って、あんなバカげた話やら教義を信じ込ませるためにどう話を持っていくのか興味あるし。駅前とかで変なパンフレットみたいな新聞配ってたり、なんとか聖人がどうたらこうたらだのぶつくさ唱えているのを見てて、あの人たちの頭の中どうなってて、なにがどうしてああなったのだろうといつも思っていたからちょうどいい。
つづく(予定)