短編文画5 偽善だよ!!
「あー、いいよ。大丈夫。気にしないで」
わたしはジュースをこぼしてしまった愛理にそう言って、テーブルにあったティッシュを五枚くらい引き抜き、彼女がこぼしたジュースを拭き取った。
「ごめんなさい」
愛理はゲーム機から目を離さず、機械的にそう言った。
「ごめんなさいじゃなくて、ありがとうでしょ」
「あ、そっか。ありがと。パピー」
ここではわたしはパピーと呼ばれている。というより呼んでもらうことにしている。みんなのお父さん的存在だからだ。
流しでジュースを吸ったティッシュを絞り、三角コーナーに放り込むと、わたしは冷蔵庫からペットル(サンキスト100%オレンジ)を持って愛理のところに行き、こぼして減ってしまった分をきっちり注ぎ足した。
愛理はゲームに夢中になっていて気づかない。
まったくもうしょうがないなあ。
ここでは、子どもたち(原則として二十歳以下)が日中自由に過ごせる空間を提供している。三年前に死んだ親父が遺してくれた二階建て九十平米くらいの家で、築三十年は経っているがなかなか居心地、住み心地は悪くない。平日の午前十時から夜の六時まで開けていて、お昼はお弁当を持ってくるか近所の弁当屋に注文することになっている。
もちろん、その時間帯は本来子どもたちは学校に行っている時間なので、ここに来ている子たちは不登校の子たちということになる。下は小学校低学年から上は十九歳まで十数人の子たちがここに通っている。利用料は保護者からもらっていて、月に二千円+おやつジュース代五百円+光熱費五百円で三千円が最低料金。そこに弁当代と延長料金がかかってくる。弁当代は注文分で立て替えている分を実費でそのまま乗っけていて、延長料金は朝十時前に来るか、夜六時以降まで残っていた場合に十分二百円でもらっている。前業や残業はなるべくしたくないので多少高めに設定してある。
わたし一人でやっていて、人件費も家賃もかからないから、それで十分だ。勉強部屋が二階の北側にあって、机が四台置いてあるから、そこで自由に勉強もできるし、分からなければ私に訊けば教える。学歴だけは無駄に高いから勉強に関しては、たいていのことには答えられる。
下のリビングには真ん中にコタツが置いてあって、たいていテレビで誰かがゲームをしている。それを見るとはなしに四、五人の子たちがコタツや一続きになったダイニングのテーブルのところから見ていて、お菓子やジュースを口にしながらだらだら喋っている。
南西側の六畳の部屋は図書室。わたしがこれまでの人生で買い溜めてきた本や漫画二千冊くらいが収納されていて、ローテーブルのまわりに座椅子が三つ置いてあるからそこで自由にいくらでも読んでていいことにしている。
南東側の六畳半の部屋はベッドルーム。シングルベッドが二つ置いてあって、具合の悪くなった子や前日に夜更かしをしてしまって寝足りない子なんかが寝られるようにしている。
トイレは一、二階に一つずつあって、下のリビングダイニングの北側に洗面所とお風呂があって、ここも自由に使っていいことにしている。というより、全体として特になんのしばりも制限も設けていない。全部自由だ。どこで何をしててもいい。すべて個人の意志に任せてある。
「ただし、ここは『子どもの家』である前に日本の国内なので、日本の憲法や法律は適用されます。法を犯すような行為があった場合は躊躇なく警察に通報します。子どもだからゆるされるということは一切ありません。監督責任うんぬんというようなことをおっしゃられる方は、基本的にお断りしています」
わたしが入会時の親子面談で必ず伝えることだ。そこを飲み込んでおいてもらわないと、あとあと困ることになる。その子が他の子に暴力を振るったり、怪我をさせた場合だ。監督責任とかそういうことを言われると、子どもたちの行動をかなりしっかりと縛らなければいけなくなり、肝心かなめの〝自由〟がなくなってしまう。
*
「パピー、ちょっといいかな」
「へい」
まみがいつもの調子でわたしを呼び、いそいそとわたしは彼女のもとへと駆けつけた。
「今日マルホ」
小声で囁くようにそう言い、わたしは、よっしゃ! と心の中でガッツポーズをした。
「おっけ。あけとく」
神田まみは十八歳の元女子高生で、十六歳だった高校一年生の時に部活動内のいじめから不登校になり、半年ほど家に引きこもった後に「子どもの家」に来た。スマホでいつもゲームをやっている。定位置はダイニングテーブルの右奥の席で、メタ系ゲームアプリのプレイ時間が千時間を超えたと前に自慢していた。
マルホというのは最後まで残って寝室で過ごすということの隠語で、言ってしまえばホテル代わりにここを利用するという意味だ。まみはもう十八歳で、このあいだ法律が変わって十八歳から成人になったから、もう問題はない。児童福祉法で守られる未成年にはあたらないし、条例にもひっかからない。
なぜわたしが心の中でガッツポーズをしたかというと、率直にまみに好意を抱いているからだ。娘のような存在と口で言うのは簡単だが、実際の娘ではないし、若い女と中年の男という組み合わせで好意や性欲を抱かないわけはない。それは現実ではない。
もちろん、まみの心に寄り添いたいという気持ちもある。それがだいたい五割だ。それからさっき言った好意が三割、性欲が二割といった配分になっている。石田オライザ似の可愛くてスタイルもいい子で、女子たちには嫌われるだろうといった感じがする。オナニーではよくお世話になっている。別に妄想の中で多少荒っぽく犯しているだけで、現実ではないから全然構わないだろう。ラストは中出しして、最後の一滴まで奥の奥で出し切る。まみはM字型に股を広げて太腿を抱え、獣のように喘ぎながらわたしの精子を残らず性器の底で受け止める。
その日は皆の降室が遅く、最後の子にいたっては七時を回っていた。玄関のところに時計と書き込み式のカレンダーが置いてあって、六時を過ぎて帰った子はそこに名前と降室時間を書いてもらうことになっている。そして月締めの請求のときに、その延長分を請求に乗っけている。
五年生の山下龍人くんという子がゲームをやめず、ずっとぶつぶつ言いながらコントローラーを動かしていた。
「ちょっともう切りのいいところでやめてくんないかな?」
「あ、はーい」
と返事だけして、続けている。
「きりのいいところまで来ない?」
画面をのぞき込むと、一人称視点の幾何学的なウネウネが棚のようなところを昇り降りしている。
「あー、はい」
やめる気はないようだった。
わたしはテレビのリモコンを取って、電源ボタンを押した。
「ちょっと! 何してんだよ!」
振り向いた龍人の顔を、無表情に見返す。
「……帰ってくんないかな」
龍人は眉間に皴を寄せ、怒りをあらわにしている。
「途中だっただろ! 最後までやらせろよ!」
まだあきらめていないということか。
「帰れっつってんだよ。……分かるよな?」
低いドスのきいた声でそう言うと、龍人の目が泳いだ。
「これ以上言わせんな」
くそガキが、と心の中で付け足した。
龍人が帰ると玄関の外の電気を消し、冷蔵庫から缶ビールを取り出した。
ダイニングテーブルの一番手前側の席に座り、ポケットからスマホを取り出す。
──ガキども帰った。いつでもOK。早い方がいいけど。
まみにそうラインを送る。五時過ぎに帰ったことになっていて、マンガ喫茶とかで時間を潰すと言っていた。
すぐに既読がつき、返事がかえってくる。
──おっそ。もう七時半じゃん。
──すまん。龍人がマイクラずっとしてたから。
──ウザ。死ねや。
──マヂで。それな。
近くにいたようで、そのラインのやりとりから十分もしないうちにインターホンが鳴り、わたしはまみを中に招き入れた。
まみはセブンイレブンの大きな袋を持っていて、その中には酒と柿ピーやスナック菓子とジャイアントコーンなどのアイス類が大量に入っていた。
「げ、つーかもう飲んでんの?」
「ああ、ちょっとアイツにムカついてたし待てなくて」
まみは氷結のロング缶を開けてごくごく飲むと、ポテトチップスの袋をパーティー開けした。
「あー、うま。マヂで。」
お酒は二十歳になってからというのは建前に過ぎず、大学生なんかも堂々と飲んでいるのだからまったく問題はない。実際の解禁年齢は日本の場合、十八歳だ。
その時まみのスマホが鳴り、「ゲッ、親だ」と言いながら電話に出た。
「あー、ていうか、言ったじゃん。『子どもの家』で勉強してる。数学で分かんないとこあるから先生に教えてもらってるとこ。……え、ちがうって! ほんとだって。なんで信じないの! ……は? アホじゃね。……じゃあ先生に替わるね!」
スマホを差し出されると、わたしは頭を軽く振って電話に出た。
「あ、いつもお世話になっております。……はい。…ええ。……そうなんですよ。いまちょうど微分の問題を解いてるとこでして、微分方程式っていうのがボトルネックになっているようなので、それをホワイトボードに書いて図解してというような感じで。…ええ、大丈夫だと思います。だいたい吞みこめたようなので。……はい。すみません。なるべく遅くならないようにして、……ええ。もちろんご自宅までお送りいたしますので。…はい、承知いたしました。……はい、失礼いたします」
九官鳥のような甲高い声のよく喋る女だった。頭に響く。
ポテチをつまみ、ビールで喉に流し込んだ。
「つーかパピー上手いよねー。あいつマヂで数学の勉強してると思ってるっしょ。ウケんだけど!」
手を叩き、まみはきゃっきゃと笑う。マイクロミニのスカートのすそがめくれ上がり、隙間から水色のパンツがちらっと見えた。しっかりと目の奥に焼きつけ、後々オナニーで使えるようにした。
「アイスしまっとくね。溶けちゃうから」
席を立ち、セブンイレブンの袋からスーパーカップとジャイアントコーンとモナ王を出して台所の冷凍庫に仕舞った。
「うちら用に買ってきたんだけど、ガキども勝手に食べそうじゃね?」
たしかに置いておけばそうなるだろう。冷蔵庫は共用にしていて、あるものは勝手に飲み食いしていいことになっている。
「名前でも書いとけば。まみちゃんのだって分かれば、誰も食べないよ」
「あー、じゃあ書いといてー」
わたしはリビングに戻り、ペン立てにあったマッキーを取って冷蔵庫の中のアイスにまみと名前を書いた。
「書いといたよ」
「分かったー。じゃあ、それパピーも食べていいよ。二人の分で」
まみが来ていない日に食べないようにしなければならない。減っていたら誰かが気づく。それで誰が食べたんだというちょっとした騒ぎになる。立場的に自首するわけにもいかない。
わたしとまみは酒の缶を持ったまま、二階のベッドルームへ移動した。そこできっちりやることをやり、わたしは最後はゴムの中に射精した。オナニーの妄想の中ではおもいきり中出しを決めているのだが、さすがに現実ではゴムをつけざるを得ない。妊娠が怖いからだ。そんなことが起きてしまえばまみは産みたいと言い出すだろうし、そうなるとここの秩序も理念も運営もなにもかもが崩壊する。
「ねえ、好きだよ」
「ああ、俺も」と、わたしは間を置かず返事をする。
「結婚できる年齢が十六歳から十八歳になったんだよ」
「うん、知ってる。ニュースでやってたよね」
「わたし十八。先生は?」
「四十三」
「結婚できる年だよね?」
わたしはベッドの下に落ちていた下着を履き、靴下を履いた。
「まあ、でも僕は結婚してるからできない。重婚っていう罪に問われて捕まっちゃう」
一つ歳下の妻と八歳になる娘が近くのマンションに住んでいる。そのマンションは義父の持ち物件で、ただで我々に貸してくれていて、わたしのやっている事業にも深く感銘を受け、少なくはない額の生活援助金まで出してくれている。
「知ってるよ、そんなこと。だから離婚してわたしと結婚しようよって言ってんの!」
さすがは十八歳。遠慮も躊躇も恥じらいも何もあったもんじゃない。
「いや、子どももいるから」
「だから、知ってるって! その娘さんだったっけ? その子とは奥さんと離婚した後も仲良くしてりゃいいじゃん。別に親子の縁が切れるわけじゃないんだし」
「そういう問題じゃないんだよ」
ゆっくりとした低い声でそう言うと、まみはまともにわたしの顔を睨みつけた。
「……へぇ、そうなんだ。大人の事情ってやつ? ああ、じゃあそれならさ、バラすよ」
「え?」
文字通り、頭から一気に血の気が引いた。
「ここの子たち全員にわたしたちの関係バラしちゃうけどいい?」
「もうとっくにバレてるよ」
それは嘘だった。でも、勘のいい子には気づかれているかもしれない。子どもはそういうものにはひどく敏感だ。隠し切れるものではない。
「みせつけてやる。パピーがわたしのものだってことを」
そう言って軽く笑い、M字型に股を広げて両手で太ももを抱えた。
「ここにパピーは夢中で、いつもヤリまくってんだって」
事実だったが、そんなもの無視すればいい。まみが勝手に言っていると狂人かストーカー扱いして、ここを去ってもらうしかない。
「だから離婚してよ。そしたら中出しさせてあげるよ。おもいっきり中で出しちゃっていいから」
わたしの下半身がびくんと反応し、萎えていた性器がむくむくと充血していく。
「分かった。奥さんとは離婚する」
靴下と下着を脱ぎ、まみを押し倒して第二回戦が始まった。
「ちょうだい。中に! 中に!」
イキそうになるとまみはそう叫んだ。
「妊娠させて! パピーの子を妊娠させてー!」
セックスの本来の目的は子種を宿すことなのだから、まみの求めていることは間違ってはいない。しかし、わたしは四十半ばなので、そんなことを言われて冷静にならないわけがない。
「あっ、イクッ!!」
ペニスを引き抜き、陰毛とヘソの間らへんに精液を放った。
そのまま抱きついて下腹部とペニスを擦りつけ、最後まで出し切るようにした。これはこれで素股のような感じで悪くない。
「ちょっと何抜いてんだよ!」
「え、だって妊娠させたくないから」
偽らざる率直な答えだった。
「離婚すんじゃねえのかよ!」
「え? そんなこと言ったっけ」
言ったことは覚えているが、あれは性欲に負けて口から出任せにしたものだから、関係ない。
「まぢふざけんなよ。これ録ってるし、SNSで拡散してやるからな」
こいつのやりそうなことだった。
わたしは部屋の中を見渡し、まみのスマホを探したが見当たらなかった。
「つーか、私だけじゃないんじゃ……」
「へえ、よく分かってんじゃん」
過去には他にも何人か関係を持った子はいた。人間の本能なのだから仕方がないし、すべて向こうから求められてしたことだ。おまけに児童福祉法の適用年齢が十八歳未満だから、十八の誕生日になるのを待ってしている。倫理的にも法律的にも何の問題もない。
「いや、そんなことどうでもいいから、スマホどこ?」
ベッドから出て、部屋の中を探し回った。見つけて物理的に破壊しないと、本当に拡散されてしまう。
「離婚したら教えてあげる」
起き上がってティッシュでわたしの精液を拭い、まみはその匂いを嗅いでいる。
「しねえよ! するわけねえだろ。くそガキが」
棚の奥や、天井の隅、ベッドサイドやベッドの下まで這いつくばって探してみたが見つからない。
「どこかな? 見つかるかな? さあ、脇田淳。運命の分かれ道です!」
まみはそう煽り、手を叩いてケラケラ笑った。
わたしは込み上げてきた怒りを抑えることができず、まみをベッドに押し倒し、馬乗りになって上から思い切り睨みつけた後に頭突きを喰らわせた。
「痛い痛い痛い!! 頭割れたよ! 虐待! 虐待!」
大袈裟にまみはそう喚き、ぎゃあぎゃあ泣き始めた。
「うっせぇよ! うっせえんだよ!!」
ベッド脇に落ちていたま水色のブラジャーとパンツをつかみ、まみの口の中に押し込む。これで喚き声を聞かずに済む。
そして、わたしはまみの細い首に両手を絡ませた。
「まみちゃん、これバラしたらどうなるか分かるよね?」
低い声でそうささやくと、まみは必死になって首を縦に振った。
「スマホっていうかカメラどこにあるか言いなよ。言わないと、死ぬよ」
すると、まみは必死になって部屋のドアらへんを指差した。どこか分からなかったから、首を持ったまま、まみの身体ごとそっちへ引っ張っていった。
ドアの横に書類やもう聴かなくなった昔のCDケースなどが雑然と詰め込んである棚があって、まみの右手の人差し指はそこを指している。
「どこだよ! はやく!!」
首を握った手に力を込めると、彼女の顔が赤くなった。そしてまみは腕をピンと伸ばし、プリンターの六色入りインクパックに指の先を当てた。
首から手を離してインクパックを持ってみると、それは必要以上に重く、よく見ると開けられた形跡があった。
中身を開いて見てみると、黒い見慣れないスマホが入っていた。画面には赤いランプと一時間三十六分五十秒という数字が表示され、その数字はいまも増え続けている。
録音か。録画じゃなくてよかった。
そう思ってわたしは少しホッとした。だが、やることに変わりはない。
スマホを床に置き、かかとを中心に力を込めて思い切り踏み潰した。ぐしゃっという音がして液晶の画面が割れ、それだけでは足りないので、何度も何度も力をこめて踏みつけ、スマホが二つに割れて中の基板や緑色の線が出てくるまで破壊した。
「あーあ」
と、まみが後ろで言うのが聞こえた。
「つーか、それ誰のスマホか知ってる? 弁償じゃね?」
完全に舐めた口調だった。
「……誰のだよ」
「龍人の。愛理と通話になってて、ハンズフリーでみんなでセブンの駐車場で聞くって」
「…みんなって?」
「愛理もまさるも伶菜もあかりもたけるも由奈ももーりーも。パピーがそんなことするわけないだろって言われた能天気なガキどもだって」
ここのレギュラーメンバーほぼ全員じゃないか。
「これ龍人の考えたことだからね。わたしじゃない。っていうか、向こうで録音してるだろうから、ちゃんと離婚してね。しなかったら、奥さんと子供にバラすよ」
今はそれどころじゃない。
首絞めが気持ちよかったから今度は絞められながらヤりたいというまみを宥めすかせて何とかして帰らせ、わたしはリビングの床に大の字に寝転んだ。
ああ、終わったなぁ。
需要はあって、それに応えてたはずなんだけどなぁ。
ちょっと応えすぎちゃったかなぁ。
こういう時大人はお酒を飲む。
冷蔵庫の中にあった缶ビールと流しの下にあったウィスキーを全部飲み、意識が混濁して何も分からなくなってくるとわたしは眠った。
翌日起きると、もう夕方だったが子どもたちは誰も来ていなかった。
[了]